君がいるから

アイドルと備忘録と日記をひたすら

2019/1/30の気持ち

どうしよう、どうしよう。
2019年1月27日。17時過ぎ。寒い日だった。外が冷たくて。買い物から帰ってきて、嵐のライブDVDを見てたなかで何気なくツイッターを目にし、とにかく動画を見なければと思い、開いた動画で見たことを受けて目の前が真っ白になった。手の感覚がないくらい冷たくなった。深く息がしにくくなった。

理由は理解した。大野さんが10年目に感じていた、“この仕事してるとできないこと”に対してとは違うけれど、きっと自由を手にしてみたい。と思ったんだとおもう。
大野さんは、嵐は、人間だから。アイドルでいてくれるけど、きっとなんにも縛られない生活に憧れてしまったんだろうなって。日々淡々と働き、ほんとにやりたいことはできない。どこへいってもどこにいるかが分かってしまうと行けなくなってしまう。そんな日々をいったんやめたい。干渉されることから解放されたい。普通の感情なんだとおもう。そこは、絶対に責められない。と思った。

嵐は5人で嵐だから、だからこそ休止なんだとおもう。その嵐としての信念が一致しててまずよかった。4人で活動されたらわたしはもうたぶん生きていけない。どんな背景なのか、全ては分からないけれど、解散ではなく休止ということに少しだけ希望を持ってる。きっと何度も何度も話し合いを重ねて、その結果なんだろうな。2年近くという時間、猶予を持たせてくれたのはほんとに助かってる。
2018年、2019年とまたいで全員入るようにツアーをやることの意味は20周年記念もあるけれど、いったん別れる前にみんなにありがとうと伝えたいんだ。こんなときに過去の伏線回収みたいなことに気づいてしまう。結果論だとは思うけれど。そしてどんどんそれは、意味をなしてくる。
昨年のコンサートで見た5人の優しさが、ほんとに今になってまた沁みてくる。あの重い挨拶が好きなんだ、なんて簡単に口にできない。もう5人で会えなくなるかもしれない。そんなことを考えてしまう。
たすけて。どうしよう、思いを伝えたいのに、待つことしかできない。どうしようもない感情。どうしたらいいんだろう。

会見が終わると、不思議と17時の時点でのそこはかとない落ち込み、もう生きてる価値なんてないっていう最悪の感情みたいなものは少しだけ軽減した。
本人達がすぐに自分たちの言葉で会見してくれることに感謝しかなかった。リーダーのことを絶対に守る、それ以前にメンバーが困ってたら絶対に助けるということが見ててよくわかった。そういう類の会見のなかで、あんなに明るい、というか和やかなの会見は初めてだった。こいつ何言ってんだ、もっと調べてからものを聞いてほしい、と腹が立ってしまうような質問に対しても、それぞれが誠意を持って真正面で答えてたし、誰かの回答が詰まれば誰かが割ってフォローする。ほんとにいつものような5人の対応でちょっとそこに対しても安心して泣いた。
メディアの憶測、そのまた憶測、第三者の言葉を見たくなくて。テレビは信用してるもののなかでの最低限しか見なかった。風間くん、青木アナ、言葉が暖かかった。コメンテーターや、ツイッターで流れてくる共演したことのある人のコメントも正直どうでもよかった。自分が信じてるのは嵐と、そのスタッフと、嵐のおたく達だけだと思った。

その日のzeroで翔くんがちょっと腫らした目で出てきたとき、なんとなく思うことはあったんだけど、本人が昨晩嗜んで浮腫んだと言ってたので、そうなんだとおもう。
zeroは報道番組であり、リアルタイムでのその日の出来事を伝える番組であることは存じているので、大きく時間をとれないかもしれなかった状況で嵐のことに対して大きく時間をかけて、いろんなことを聞いてくれ、それに対して誠意を持って答えてくれた翔くんに対しても大きく感謝してる。
会見の前、「何かあったら必ず僕がフォローするから安心して臨んでほしい」という連絡を取っていたことに、納得がいった。智くんからしたら、こんなにも心強いことなんてないとおもう。あとは、5人の意見をまとめて五角形の真ん中に意見を着地させるという役割は自分が担うものだと瞬時に判断した翔くんの感情とか、そういうものも聞けてよかったとおもう。あの場がなければ、5人の総意としての意見だけだった。やっぱり本人サイドからのひとことが、誰よりも信頼できるし、救われることなんだと思い知った。智くんが“なんてひとたち”と表したこと。ほんとにそう思うよ。でもたぶん仮に立場が違っても智くんだってそうしたんだとおもうよ。家族みたいで、幼馴染で、友達みたいで、かけがえのないチーム。
まだ先通しが不安だけれど、2021年以降になったときに、また5人の場があるかどうかに対して「もちろん、もちろんです」って躊躇いもなく答えてくれたことを信じるしかないかなって。いまはそのひとことだけが期待。
会見で口にしてた“最後の”って言葉、翔くんが文面にだけ記した“嵐が嵐のまま走り抜けたい。” “嵐を宝箱に閉じこめたい。”という気持ち。2020年までのことを指しているのだと信じたい。先はどこかでまたひとつにつながっているということだけを思って生きていきたい。

この悩みは、まだ立ち止まってもいないのに考えたくないって気持ちと、いま考えずにどうやって今後整理つけていくんだよっていうのもあって。自分と向き合うのは時間を取らないといけない。人の意見を聞く前に自分の意見と向き合わなければ。結論はまだ出さなくてもいいけれど、とにかくいろんな感情を整理しなくては。と思ってこんなにもめちゃくちゃにまとめています。

こんな、こんなにステキなグループだって私たちだけがわかってればいいのに、こんな形で知れ渡ってしまったのは悔しい気もする。会見でみんな知るのかよって。こんなに好きな気持ち、全てかけてでも、人生棒に振ってでも見ていたいとおもう気持ちは一生に一回きり。もうこない。とにかく、とにかく、考えなければ。休止という言葉は全然結びつかないし、起きたら嘘かもしれないという期待を持って次の日の朝を迎える辛さは何にも変え難い。どうしたらいいんだろう。少しでも歩幅が小さくても前をむきたい。